穂高健一氏と新津きよみ氏の『葛飾を歩いてみて~ふたりの作家が語る講演会』が開催されました
2015年10月4日の午後2時から2時間にわたり、『葛飾を歩いてみて~ふたりの作家が語る講演会』の講演が行われました。 会場の葛飾鎌倉図書館は定員70人がほぼ埋まるほどの盛況ぶりで、二人の軽快なトークにより、終始なごやかな雰囲気に包まれました。 なお、講演の後半はお二人のご厚意により、質疑応答の一時間となりましたが、質問された方の許諾がないため、割愛しています。 H:穂高健一氏 N:新津きよみ氏
N:今回は穂高さんのご厚意で、このような晴れやかな舞台をご用意いただき、とても感謝しています。 私と穂高さんは日本ペンクラブの広報委員で、ご一緒させていただいています。 親しくなった最初のきっかけは、穂高さんがお住まいの立石を案内していただいたことからです。 そのあと穂高さんが「歴史散策の会」を作られて、初回も立石でした。 前回は芝公園でしたけれど、男女7人で仲良く15回も続いてこられたのは不思議な感覚もあります。 今も歴史に詳しい穂高さんや歴史作家の方々に、色々な町並みを案内していただきながら教わっています。 H:新津さんの小説「指名手配」の作中で、僕が暮らす立石が舞台となった場面があります。 それを書かれたときの作者の心境について、聞かせていただけますか。 N:私は本も好きですが、お酒も大好きです。 (会場・笑い) それを穂高さんに話したら、「立石に来ればいいよ」と言い、案内されました。 あの時は昭和の顔を持つ街というテーマで、ご案内していただきましたよね。 私が生まれたのは長野県大町市という田舎ですが、初めて来たのに、どこか懐かしさを覚えました。 それは故郷と共通する、線路の匂いや惣菜店などの夕餉の匂いで、とても身近に感じられました。 その後、立石の町並みを、どこか作品に書き残したい思いにかられたのです。 それが「指名手配」です。 この小説を読んでご紹介くださった方の記事が、今年5月15日の朝日新聞東京版に掲載されました。 H:その一節を、作者自身の声で朗読していただけますか。 N:ええ、はい・・・。 (しぶしぶ了承) いつも作品の宣伝は編集者にお任せしているので、自分で読み上げるのは恥ずかしいですね。 (会場・笑い) 私はとてもシャイな性格ですから。 でも、せっかくお招きいただいたので、皆さまに朗読で紹介させていただきます。 東京という大都市には顔がないが、下町には顔がある。 誰がそう言ったのか忘れたが、京成立石駅に降りて踏切の前に立ったとき、愛子はその言葉を思い出した。 遮断機が上がるのを待って踏切を渡ると、そこには昭和の街を思い起こさせるような、懐かしい雰囲気の商店街が続いていた。 手焼きの煎餅屋があり、立ち食いスタイルの寿司屋があり、揚げたてのコロッケが山盛りになっている肉屋があり、何十種類ものおふくろの味をうむ総菜屋があり、豆腐屋の店先には厚揚げや湯葉や、それらを使った煮物も並べられている。 まだ日が高いというのに、暖簾の下がった一杯飲み屋の外には、長い行列ができていた。 私はその一杯飲み屋まで、穂高さんに連れて行っていただきました。 (会場・爆笑) もつ煮込みがとても美味しくて、ドラマで見た記憶のある二級酒を、取材のつもりで飲みました。 (会場・笑い) 私は1957年生まれなので、それらの雰囲気がとても懐かしく感じられたのです。 立石は東京ですけど、どこか信州と似た香りがするなと、懐かしい気分をかみ締めながら、町を歩きました。 ただ、立石を殺人現場にするのが忍びなくて、少し凝った構成で魅力的な街として書いたつもりです。 ネタバレになるので、それ以上の内容は皆さまに読んでいただけると幸いです。 その節はいろいろと・・・お世話になりました。 (会場・笑い) H:最初に案内した店が1500円で飲める、その有名な一杯飲み屋だったのです。 新津さんが、全国各地を逃げ回る指名手配犯が隠れ家にできそうな、そんな場所を作家の目で探していたので、私の地元の立石を紹介しました。 本の発売後、おどろく記事が、今年の5月30日の朝日新聞東京版に掲載されました。 東邦大付属中高の教諭が、「指名手配」の舞台は、京成立石駅近辺ではないかと突き当てたのです。 N:まさに、探偵のような作業ですよね。 (会場・笑い) 作中の場所は「東立石四丁目の公園ではないか」と特定し、ご自分で写真まで撮影されています。 それには驚くと同時に、こんな読み方もあるのかとうれしく、たいへん光栄な思いをしました。 H:ほんとうに、ズバリと当たっていますよね。 まさに、作家冥利に尽きるのではないでしょうか。 指名手配で逃げ回っている犯人に感情移入したのが、学校の先生というのも面白いですね。 新津さんとは何度か話題にしましたが、編集者も驚かれたそうですね。 N:「この方とお会いしたいくらいだ」と言われていました。 (会場・笑い) 268回も続いているコーナーなので、東邦大付属中高の教諭はご自分で読まれたあと、色々な場所を探り当てられておられるのかも知れません。 H:その新聞記事の後半を、ここで紹介しましょう。 京成立石駅付近を散歩したのは午後の1時過ぎでした。 南口すぐ近くの有名なもつ焼き屋の前には、開店を待つ客が既に数人います。 そういえば小説の中にも、愛子が駅近くの路地にある1軒の飲み屋に入り、煮込みを味わうという描写がありました。 愛子は東立石4丁目にある児童公園で、1階が駐車スペースになったアパートを見張っています。 奥戸街道を渡って行って見ると、はら公園という、日当たりの良い公園を見つけました。 小休止をとりつつ本を開いて描写を確かめ、この公園がモデルである可能性をいろいろと考えました。 この記事は的をついていますけど、当てられた作者の心境はいかがですか。 N:書いているところを、何処かで見られたのではないか、と疑ってしまいました。 (会場・爆笑) 主人公の七倉愛子が雑踏に立って、指名手配犯を見つける。 それが主な仕事ですが、作中では刑事が連絡をせずに、相手を訪ねます。 聞き込みの時に電話などすると、逃げられたり、構えられたりしてしまい、そのうえ事実を話さない恐れがあるからです。 いきなり行ったら対象者が不在だった。 そこで時間つぶしに駅のほうに戻って、一杯飲み屋にちょっと入る描写を書いたのです。 穂高さんに連れて行ってもらったお店の体験を作中に入れたのは、嗜好が変わっていて我ながら面白いなと思っています。 H:作品の中で、立石を使った点について、編集者の反応はいかがでしたか。 N:意見が真っ二つに分かれていました。 お酒好きの人は、「知っている」と言われていましたね。 先日もたまたま打ち合わせで、町田に行きましたけど、町田も立石に似ているのよと言われました。 立石も町田も昭和の懐かしい街のイメージだと感じました。 H:今日は葛飾を歩いて、「ふたりの作家が語る」というテーマなので、柴又に行ってみました。 その印象や、描写を小説に入れてみたいか否か、そのあたりの感想を教えてもらえますか。 N:柴又では、久しぶりのうなぎをご馳走していただいて、とても美味しかったです。 (会場・笑い) 柴又に訪れたのは2回目です。 前回は十数年前に、信州の両親を連れて柴又を案内しました。 その時はまだ渥美清さんがご存命で、しかも休日でしたから、満員電車のなかを歩くくらいの混雑ぶりでした。 ただ、今日も予想外の人出でしたので、とても驚きました。 柴又にむかう電車内で、中高年のカップルがパンフレットをお持ちになって、「矢切の渡しのあとは何処へ行こうか」、「どのあたりで昼食を取ろうか」などと話されていました。 今は東京の歴史に興味を持っている方が大勢いらっしゃるので、歴史散策で柴又を歩いてみようか、という気持ちなのでしょうね。 渥美清さんが亡くなられても、柴又の人気が根強いのだと痛感しました。 でも、柴又をミステリーに使うのは難しいと思います。 柴又を出しただけで「何かあるな」と、想像されてしまいますし、逃走犯が逃げるには、ちょっと有名すぎるかもしれません。 となり近所が親しいので、知らない人がいたら、警察にすぐタレコミされてしまうでしょうね。 (会場・笑い) 柴又は、小説の舞台としては使いにくいです。 とは言っても、相変わらず食べ物屋さんは混雑していましたし、とても楽しい街なので、スリリングな場面に限らず、それらをいつか描写したいです。 それに帝釈天にある彫刻がとても見事で、全方向にあるのがとても驚きました。 穂高さんは彫刻をじっくり見られていましたけれど、それはどうしてですか。 H:新津さんがしっかり見ていたので、僕もつられて、そばで観察していただけです。 (二人とも苦笑い) N:そうでしたか。 彫刻が完成した江戸時代の話も、穂高さんから聞かせていただきましだが、とても詳しいので楽しかったです。 H:今、ちょうどその時代にあたる、天明の飢饉を書いているところですからね。 ちょっと横道に反れますが、皆さまご勘弁ください。 僕は来年8月11日で祝日になる、山の日制定委員のメンバーの一人で、超党派の議員たちから、信州に関わる歴史小説を書いてほしいと依頼を受けました。 安曇野と飛騨を結ぶ新道を取り上げています。 槍ヶ岳の播隆上人は以前に新田次郎さんが書かれています。 だから、ちょっとふれる程度ですけど。 今月1日から合計240回で、それらを舞台に書いた歴史山岳小説を松本市の「市民タイムス」で連載をはじめました。 新津さんの最近書かれた小説「父娘の絆」とは妙な偶然ですが、北アルプスと安曇野と僕の小説が一緒です。 七倉愛子シリーズの第2話は、とても好評だそうですね。 N:おかげ様で第2話ですけど、一話の2倍のスピードで売れているとの報告が一昨日ありました。 私の父は89才ですが、25年に渡って信濃大町で警察嘱託医を勤めていました。 その体験を色々聞いて、それを元ネタにしました。 父をモデルにしたようなおじいさんと、30才前後の孫娘が後継ぎになる物語で、第2話では、愛子が警察嘱託医となって信濃大町まで帰ります。 穂高さんは登山家ですけど、私は故郷に帰れば、嫌でも山を見なければならないので、山登りに行く気が全くしませんでした。 ですけど、最近は故郷を離れたせいもあって、登山に興味を持つようになりました。 私は中学2年の時に皇室の方もよく登られるつばくろ岳に、たった一度だけ登った経験があります。 来年あたりから実家から見える、槍ヶ岳に登りたいと考えています。 安曇平を書かれている穂高さんとは、また繋がりの濃さが深くなりそうですね。 参考になるような資料があれば、ぜひ拝見させてください。 H:ええ、もちろんです。 新津さんの「父娘の絆」には、北アルプスの山岳名がたくさん出てきます。 手にしたときに、一気に読みました。 いつもならば、作家の習性で、この部分は伏線だなとか、行間をあれこれ考えます。 その意味で、山岳名に惹かれて読み進みました。 たとえば、野口五郎岳の山小屋が出てくると、あそこの山小屋ご主人は元気かなとか、三俣蓮華が出てくると、伊藤社長さんは元気かな。 私がジャーナリスト活動をしていたとき「今まで登山道の管理は、環境庁とか林野庁がしていたのに、山小屋が行なう法律が制定されてしまうと、道路の整備などが負担になる」と話されて、記事にするために、農林省とあれこれ口論まがいの取材をしたなとか。 「父娘の絆」ではさまざまな思い出がよみがえりました。 新津さんの故郷の信濃大町も、安曇野の一角ですよね。 N:はい、北の外れのほうです。 H;今回の私の小説「燃える山脈」は安曇野の農民が主人公です。 農民の描写は難しく、執筆はずっと苦労の連続です。 安曇野の田園風景は、日々の変化に乏しいですし、とんぼや蝶の動きを描いても、一度で書けば、それ以上は飽きられてしまうと思う、と。 僕は広島県で瀬戸内海の島の出身です。 海を描いた小説なら船を描いても多種多様ですし、潮流の変化も激しく、大名や武士が行き交うし。 幕末の志士が島に入って密貿易をする場面など、緊迫した描写も書けます。 それに比べて、変化のない農村を描くのは、僕自身が試されているような気がしてなりません。 新津さんは故郷が大町なので、作中に山がたくさん挿入できますね。 うらやましく感じています。 N:故郷でずっと見てきたとはいえ、山の描写は難しいですね。 「雄大な」、「荘厳だ」と表現した作家もおられますが、私はあまり上手に書けません。 お話しした通り、今まで山が好きではなく、登山の経験も少ないので、とても困りました。 第1話で死因は滑落死か、それとも殺人かという場面があり、遭難遺体を検死する描写があります。 登山の経験がないわけですから、あの稜線から転落した現場まで、麓から所要時間がどれほどかかるのか、という疑問を調べるのにも、とても苦労しました。 私の実家の2階から双眼鏡でのぞけば、登っている人が見えるのではないか、とさえ感じます。 それほど近くにあるのですが、やはり実際に登らないと、山は詳しくわかりません。 そこで何を参考にしたのかと言えば、高校の時にお世話になった恩師が山好きなかたでした。 先生はご自身の登山経験について、20年ほど前に出版されています。それを研究させてもらいました。 山のルートは歳月がたってもずっと変わらないなので、先生の本に出てくる「表銀座」、「裏銀座」などというルートを、そのまま作中に書きました。 H:この作品「父娘の絆」の書き出しは、山とまったく違った場面が出てきます。 そのあたりを教えていただけますか。 N:父と娘の絆がテーマになっています。 作中では主人公がある日、自分が父親の実の子ではないと知ります。 父親が亡くなったあとに、母親からと「非配偶者間人工授精」真実を打ち明けられるのです。 これは昔は不妊治療の一環と言われていました。 父親の精子が第三者で、まったく誰の子供か分からない治療法なのです。 愛子は、そういう治療の末に生まれた子供でした。 卵子はお母さんですが、父親はまったくの他人で、どういう男性の精子なのか分からない。 毎日暮らしていたお父さんとは、血がつながっていなかったのかとショックを受ける。 そういえば、思い当たる部分がたくさんある。 顔も似ていないし、私は理数系が得意なのに、お父さんは苦手だった。 私は背が高いのに、お父さんは小柄だった。 それならば、生物学上の父親を探そうと決意する物語です。 愛子の疑問のうち、自分が山好きであるという描写があります。 山好きが遺伝するのか定かではありませんが、小説ですのでどうかお許しください。 山の空気が吸いたい。 その強い思いがあり、迷いを吹っ切るには山に登るしかないと思う、強い焦燥感や渇望にかられるのはなぜなのか。 そんな自分の遺伝子をたどっていくという展開です。 これを思いついた時、最後までうまく書けると感じました。 これは、小説を書く醍醐味でもありますね。 登山家の穂高さんは、山好きの遺伝子があると思いますか。 H:僕には3人の子供がいますけど、真ん中の子供には遺伝子が受け継がれていると感じますね。 僕は結婚した正月に自分ひとりで登山に行って、女房の父親から「離婚しろ」と言われたほどの山好きです。 (会場・笑い) それに近いほど、次女には受け継がれていますから、山好きの遺伝子はたぶん存在すると思います。 その代わりに、他の二人は山嫌いですけど。 新津さんの「父娘の絆」を読んでいるさなか、趣味嗜好は遺伝すると同感しましたよ。 N:先日、新聞に掲載された長野県の統計では、中高年の遭難者がとても増えているそうです。 遭難しないまでも滑落したり、途中で動けなくなったり、自分の体力を過信する方が多いようですね。 先日のシルバーウイークに、私が帰省した時に聞いた話ですが、山小屋までたどり着いて動けなくなった方とか、山小屋で過労死された方が何人かおられるみたいです。 その方々は、みな60才台くらいと伺いました。 H:この七倉愛子シリーズの第2話では、3つのファクターが存在します。 一つは遺伝子の問題、それに登山の滑落死、警察監察医の存在もあります。 それらを見事にねじって、一本のロープとして完成していますね。 この着想は最初から三つ巴で狙っていましたか。 それとも、書き出してから考えたのですか。 N:「せっかくお父さまが長年に渡って警察嘱託医を勤めたのだし、親孝行にもなるから書いてみてはいかがですか」と、編集者から何年も前から、ずっと言われていました。 父は89才で現役の内科医ですけど、90才が限界ではないかと話しています。 ですから私は、父が冥土に行くお土産で書いたつもりです。 (会場・笑い) 父からは色々と、今までの遭難死にまつわる話を聞きだしました。 春山で雪崩に巻き込まれ、夏になってようやく遺体を発見したとか、別々のルートからカップルが登山して雪崩にあい、翌年に流れ着いた場所が同じで、まるで心中した死体のようだったという話も聞きました。 登山中に落雷にあって亡くなると、遺体に2つの大きな穴が空くそうです。 雷の電気が入った場所と、出た場所の2ヶ所です。 (会場から驚きの吐息) そういう話も幼い頃に、よく食卓で父から聞きました。 夕食の途中で警察から電話が入って、父が検死に向かう。 それで帰宅すると、静かにお酒を飲みながらメモをとっていて、「それはいったい何なの?」と尋ねると、「検死で頭に穴が空いている女性だよ」とか言いながら書いている。 私は父親がその女性に対して、自分なりのけじめをつけているのだなと思っていました。 「最後まで細かく書き上げるのが、その方の供養になるのだよ」と言っていた記憶があります。 (会場から同感の吐息) 25年ほどの経験の中で、500ほどの遺体を見たのではないかと父は言っていました。 記録をとっていないので、定かではないそうですけど、何処かに残しておきたいという願望があったと思います。 H:間近にいる家族に取材すればリアリティーがあるし、いい作品に仕上がったと思います。 N:東京は監察医制度がありますが、長野では街の開業医が変死体のすべてを診ます。 刑事事件の疑いがある場合、東京に送られて司法解剖になりますけど、その他の遺体は今でも開業医が調べています。 H:真夜中に警察から呼び出される描写がありますが、それは実体験から書かれたのでしょうか。 N:それは、私がまだ若い頃だった経験からの描写ですね。 今は真夜中にまで呼ばれるような、緊急性の事案は少ないと思いますよ。 午後の5時半、6時になると、警察も電話を遠慮するようです。 ただ親しい方は休日でも、「薬を取りに行ってもいいですか」と連絡があったりします。 子供の頃はあらかじめ作っておいた薬を、私がその方に渡した経験もあります。
H:ここで、葛飾の話題に戻りますね。 新津さんは長野大町の観光大使を引き受けています。 そのような立場から、葛飾の雰囲気や魅力をどのようにPRしたら良いと思いますか。 N:葛飾区の概要を私なりに、あらかじめ調べてみました。 皆さん、葛飾区の人口はどれくらいだと思いますか。 会場:44万人くらい? N:正解です。 43万から44万人という統計ですが、ほんとうにすごい人数ですよね。 ちなみに、私の故郷の長野大町は3万人を切っています。 今は5万人以上住んでいないと市になれませんが、以前は3万人以上でした。 長野大町と、葛飾は規模がまるで違います。 3万人くらいのコンパクトな街ならPRしやすいですし、私は18才まで過ごしているのでポイントをつかんでいます。 大町には北アルプスと美味しいお水、それにあれほど小さな街なのに、国宝の仁科神明宮(にしなしんめいぐう)があります。 七倉愛子シリーズの第2話で舞台にしました。 さすがに境内で死体が発見されるお話はまずいので、駐車場としました。 (会場・笑い) 大町は食べ物でも、お蕎麦やブドウ、それを使ったワインなども美味しいです。 ただ、葛飾は名物が多すぎて、印象が散漫になってしまいそうですね。 各地域でたくさんPRができそうですし、ゆるキャラも多いですから、区の公認も絞りにくいのではないでしょうか。 大町市のゆるキャラは、北アルプスとカモシカ、それに美味しい水を組み合わせた「おおまぴょん」がいます。 長野県内で堂々、第3位の人気なんですよ。 このゆるキャラ、なかなかカワイイでしょ? (おおまぴょんのデザインを会場に提示) (会場・笑い) でも作ったのは、東京のデザイナーらしいです。 大町を歩けばこんなカワイイ、カモシカがゴロゴロ歩いて・・・いませんけど。 (会場・爆笑) でもこないだ、タクシーに乗っていたら、偶然、カモシカに遭遇したんですよ。 私の前を黒い物体を横切ったので、「あれは何ですか」と、運転手さんに尋ねたら、「ああ、あれはカモシカですね。でも、珍しくはないですよ」と、冷静に言われてしまいました。 (会場・笑い) サルやシカはよく見ましたが、生きたカモシカは初めてだったので感激しましたね。 大町には日本で唯一の山岳博物館があります。 そこでは野生で迷子になったカモシカを保護しています。 他には水道から美味しい水が出て、その水を売っていたりもしますから、それらをPRし続けています。 そうそう、それに、このポスターは・・・。 (ポスターを会場に提示) 井上真央さんが主演された、NHK朝の連続小説ドラマ「おひさま」の舞台、大町市の中山高原という蕎麦畑です。 シカのお肉も出すジビエレストランもありますので、よろしければ皆さまも大町に、ぜひおいでください。 ちょっと郷土愛が強すぎて、大町のアピールばかりになってしまいました・・・。 (会場・笑い) H:大町には有名な湖もありますよね。 N:はい、仁科三湖ですね。 そのうち木崎湖、青木湖は、映画やテレビドラマのロケによく使われています。 横溝正史氏原作の映画「犬神家の一族」で、足が二本出ている印象的なシーンにも使われました。 中綱湖では、冬にわかさぎ釣りもできます。 大町市は皆さまに宣伝しやすいポイントがありますけど、葛飾区のPRは難しいですね。 H:新津さんの小説には諏訪や松本など、長野県の地名がふんだんに登場しますね。 さすがに観光大使だけあって、作中でたくさんPRされていますね。 葛飾区の「キャプテン翼」や「こち亀」の漫画家が有名ですけど、小説家は少ないと思います。 僕自身は葛飾区をあまりPRしていないので、これから考えないといけないでしょうね。 N:北アルプスは山岳ミステリーの分野で、テレビドラマにもなりました。 葛飾なら漫画などで、特に亀有の町並みがとても有名ですよね。 それらをもっと、活用したら良いのではないでしょうか。 H:そうですね。 皆さまも実際に新津さんに会って、気さくな人となりがわかったと思います。 シリーズ化もされていますから、僕の小説もあわせて購入していただけると幸いです。 これを機会に顔を思い浮かべながら、読むのも楽しいのではないでしょうか。 (約1時間、会場からの質疑応答) H;2時間に渡り、お疲れ様でした。 N:今日は私の小説と、故郷の長野大町をたくさんPRさせていただき、ありがとうございました。
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