隅田 昭のエンタメーゼ

穂高健一氏の講演会が「ギャラリー コピス」にて開催されました


2015年5月9日に、清澄白河のギャラリー コピスにおいて、
「心にひびく ことば」の講演会が開催されました。

講演の模様は、以下の通りです。




年月の経つのは早いものです。
私は若い頃に腎臓病を患って、病院で長く治療を受けました。
生後4ヶ月の赤子が、退院してやつれた私の顔を目にして大泣きしました。
その赤子だった私の次女が、今日話す内容のレジメを作るよう薦めてくれました。
顧みると、その病院に入る前は、ベッドに寝転がってストーリーのイメージを膨らませれば、良い小説を書けると錯覚していました。
一方で、学生時代からずっと読みたいと思っていた中国の古典文学を読んでいるうち、「ことば」を磨かなくてはならないとの思いが強くなりました。

私が以前習っていた講談社フェーマス・スクールの伊藤桂一教室では、純文学は「ことば」に出来ない行間を書きなさいと教わりました。

  「あの人が好きだ。どうにかして、自分の恋人にしたい」

  「あいつは嫌いだ。あんなやつ、いかしておく訳にいかない」

言葉にならない「好き」、「嫌い」な心情を丹念に書き込み、文字で読者に伝えるのが文学なのです。
日本ペンクラブでも時々話題になりますが、作家は常に「ことば」を磨き、一字一句を丁寧に書き込んでいるので、「『私は1年に500冊、1000冊読んでいます』などと、自慢される読者には、正直なところ読んでもらいたくないのです。
丹念に、ことばの行間を読んでもらいたいのです。

それでは、「ことばを磨く」とはどういうことでしょうか。
それは、「使い古された文章を削り、もうこれ以上は削りようがなくなるまで削る」
そこまで行けば光る文章になります。その作業です。
天然ダイヤモンドは、原石をやみくもに削ったのでは、何の価値もありません。
熟練した技術者が、輝く段階まで丹念に削るから価値が出るのです。
たとえば、ある作品にタイトルをつけると仮定しましょう。

  「私のかわいい子猫ちゃん」

これを漢字にするか、カタカナにするか、英語を使うか、句読点などを使うか、それによっても印象が変わります。

  「わたしの、可愛い、コネコCHAN。」

こう書くと、ずいぶん印象が変わるでしょう。
みなさんに持ち帰っていただきたいポイントは、タイトルはその作品に係わる背景を多く考える、そして文章にして起こし、そこに使う「ことば」を、それ以上は削りようがないくらい磨いてほしいのです。

更に言えば、自分の大好きなペットの猫が「私」をどう思っているか、それの気持ちを追求して「ああでもない、こうでもない」と考え、文章を多めに書いてから、削っていってほしいのです。
多くの作者は猫という言葉を題名に組込んで書きたがりますが、それは不要です。
作品を見れば、猫だと分かるので必要ありません。
重要なのは、「作品に書かれていない、見えない背景」を表現することです。

私は、児童文学を書きませんが、子供は大人以上に感性が鋭いのです。
だから、大人が読んでも感動や共感を得られるリアルな作品にしないと成功しません。

  「河の向こう側にロケットを飛ばしたい」

そう書いたならば、物理的に燃料や角度、脱出できる方法などを調べて、リアリティーのある仕上げにしなければ、子供でも納得しません。
「愛、夢、愛情」など、子供は大人より感情が素直なので、嘘など書けないし、それを追求するのであれば、大人以上に調べる必要があります。
児童文学はとてもシビアな世界だと思います。

私は葛飾区で、「花と緑のコンテスト」の審査員長を勤めています。
それらの写真は、どれも花に係わるタイトルばかり目立ちます。
作品を見る来場者はそんな情報など必要としていません。
花の名前など写真をみれば、わかることです。
また、凝りに凝った漢字を使って、漢和辞書でも調べなければ分からないタイトルを、無理につけて表現する人もいます。
そんな労力をかける必要などありません。

作家がつけるタイトルには、日本人が好きな「7、5、3」の文字数が多く、編集者ともよく話しますが、名作には「奇数」をつけた方が成功しているようです。
また、タイトルには2つの違った「ことば」を、組み合わせるのが良いでしょう。

  「二十歳の炎」、「海は憎まず」、「千年杉」

違った言葉を組み合わせることで、作品の骨格が強く浮かぶはずです。
かつて「連想ゲーム」というテレビ番組がありましたが、あの番組は人から人へと伝わることによって、微妙に表現が違ってくる。
それを視聴者が楽しんでいました。
ですから皆さんも、見せる、読ませる相手にどう伝わるかを楽しみながら考え、自分の作品から連想される「ことば」を積み重ね、削って、磨いて、光らせてください。

小説ではまず、読む前にタイトルで引きつけておきます。
最終場面で「なるほど、作者はこれが言いたかったのか」と、読者を納得させる物語が名作だと言われます。
絵画やグラフィック、写真なども同じで、まずタイトルで引きつける。
立ち去る瞬間に「なるほど、作者はこれが言いたかったのか」と、「こころ」に残る作品が、名作のはずです。

それでは、その「こころ」とは、いったい何でしょう。
日頃みなさんは、「こころ」について、考えたことがありますか。
辞書で調べると、「人のからだには見えない、感情の表れ」とあります。
人間が「ことば」を発することにより、文章や音声などを使って表現し、相手の脳細胞を刺激して、それが映像化される、最終的に感情に響くのです。

「ことば」とはなにか。
それは文や声を使って相手を刺激して、イメージを映像化させることにより、自分の思いを共有化させる手段なのです。
よい作品は「自分の言いたいこと」と、「相手の聞いたこと」が合致しています。
作者自身にしか分からないものを書いても、読者はと迷うばかりで、まったく共有できません。

それでは、読者と作者のの気持ちとを共有させ、それを「こころ」に響かせ、感動を呼ぶにはどうしたらよいでしょう。
ひとつのヒントが、演歌の詩にあると私は考えています。

  「着てはもらえぬセーターを 寒さこらえて 編んでます」 (北の宿から)

  「こごえそうな カモメ見つめ 泣いていました」 (津軽海峡冬景色)

サビをワンフレーズ聞いただけで、その人物が置かれた状況が脳裏で映像化されます。
作詞家との思いが共有されながら、「こころ」に響き、聞き終わったあとは感動しますよね。
人は、人の行動に対して感動するのです。
決して自分の考えを、作品で読み手に押し付けてはいけません。
上手い作者は言葉をフル活用して、読者と思いを共有させ、五感を刺激します。

  「臭い」、「触感」、「味覚」、「聞く」、「見る」

五感で書くと作品に味が出ます。
ただ、五感のうちでも、「見える」ものを表現するのは、あまりにも平凡です。
俗に言われる「手垢のついたことば」は、相手の感動を呼びません。
プロ作家を目指すなら、作者が独自の「ことば」を創作し、表現する必要があります。

  「渋谷の交差点で、蜂の巣をつついたような群集」

  「銀座はスマホの新製品に、早朝から長蛇の列」

このように、新聞記事のような体言止め(名詞を最後に置く文章)は、昔から使い古されているので、読者の「こころ」には響かないのです。
プロ作家を目指すのであれば、「視覚」を中心に訴える表現はお奨めしません。
それでは、何を、どのように組み合わせて文章表現すれば良いのか。
それを考えるのが、皆さんの経験であり、試される力量です。

  「私が葛飾に引っ越したときは、周囲に漂うゴムの臭いでうんざりした」

そんな些細な出来事をテーマにしても、じゅうぶん物語を書けます。

恋の相手と、肌を触れたときの感触を書けば、読者と共感できるはずです。
初めて口にしたごちそうを、丁寧に書き込めば、楽しい物語になります。
水の音に耳を澄まし、それをうまく表現できれば、良い作品になるでしょう。





私の好きな映画の一つに「シェーン」があります。
ラストシーンは皆さんもご存知のように、(ネタバレにはなりますが)少年が村に現れ、悪党を倒した正義の味方、シェーンに向かって「シェーン、カムバック!」と叫びます。
あのシーンで、仮に「シェーン」の台詞だけだとしたら、それほど見た人の記憶に残りません。
名作とは言われなかったでしょう。
やはり、「カムバック!(戻ってきて!)」と、違うことばを付加して少年が叫んだから、今も語り継がれる、不朽の名作となったのです。

ただ、言葉を削り過ぎてもいけません。
名詞、形容詞だけを並べるだけではなく、それらをうまく組み合わせて「修飾」すれば、良い表現になります。

  「ある日、妻と一緒に車へ乗って、久しぶりの後楽園に行った」

これでは、読者の「こころ」にまったく響きません。
作者が内容を分かっているが、読者は状況が全然つかめないのです。

  「初雪が積もった週末、めっきり白髪の増えた妻と、長年連れ添った大きなセダンに乗り込んだ。
  その車に高齢者マークをはり、新婚以来となる後楽園まで出かけた」

このように修飾していけば、読者も状況が頭に浮かぶので、こころに共感を呼び、ストーリーも勝手に展開していきます。

それこそが、作品の「求心力」となります。
悪い作品は、登場人物が多すぎたり、ストーリーが大げさだったりと、読者の気持ちが注意散漫となって、物語についていけなくなるのです。
良い作品とは、読者の関心がある人物を起ち上げてから、ストーリーに集中させることです。
それが読者の気持ちを最後まで引き付ける物語なのです。

プロ作家は魅力ある登場人物に焦点をあてる。
想像力で五感を刺激させる。
最後まで読者を引き付けて離さない工夫を絶えずしています。
読者の「こころ」に響かせ、共感させ、感動を与える求心力ある作品にするためには、作者は恥部や失敗をすべてさらけ出します。
ですから、プロを目指す作者は、失敗を恐れて、自分の影の部分を隠してはいけません。
みなさんも、自分をさらけ出して、ぜひ読者の「こころ」に響く名作を作ってください。



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